合気道を一般に広めた植芝吉祥丸
合気道開祖である植芝盛平の時代までは、合気道はあまり一般的に知られる武道ではありませんでした。
海軍将校などを中心に広まったという部分もあり、また、現在では一部団体が試合や乱取りを行っていますが、合気道の披露は演武形式であり、基本的に試合を行わないため、関係者以外が合気道の技を見る機会が少なかったという面もあります。
他に、合気道の技が、バリエーションが多岐にわたるうえ、名称がないものが多く、説明が難しいということが、指導をする上でも難点でした。
1969年、植芝盛平の逝去に伴い、二代目合気道道主となった植芝吉祥丸は、合気道の技を分類・体系化することで、合気道の指導と学習のすそ野を広げることに成功しました。
それまで、ほとんど書籍からされていなかった合気道の技術に関する部分でも、植芝吉祥丸は積極的に執筆・慣習を行い、合気道の名を一般的に認知させました。
1999年に逝去するまで、植芝吉祥丸は父である植芝盛平から伝えられた合気道の技術と理念を伝えることに尽力し、三代目である植芝守央を育て、今の合気道の基礎を作り上げました。